日本を創る
①原発と国家
第2部「『立地』の迷路」
vol.5
財政危機でも依存続く
交付金{中毒}に
http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/article/post_22.html
立地に伴う交付金や固定資産税、核燃料税、電力会社の寄付金。財政規模に見合わない巨額の原発マネーが流れ込む。福島県双葉町には1980年代、後戻りのできない変化が表れ始めた。
自治体に交付金を手厚く配る「電源3法交付金制度」が生まれたのは、田中角栄内閣の74年、第1次石油ショックの翌年だった。「ありがたいという 話だったよ。地元はそれは喜んだ」。福島県出身の民主党最高顧問、渡部恒三(わたなべ・こうぞう)(79)は振り返る。交付金という"蜜"で立地を促進す るシステムの確立だった。
2基の原発を抱える双葉町への交付金は87年度までの14年間で約34億円。固定資産税は多い年で約18億円で、歳入の半分を占めた。町は下水道や町道、図書館整備など公共工事に突き進む。
地元の建設会社社長は「先に原発ができ、4基がそろった隣の大熊町に比べ、双葉町は2基で交付金が少ない。大熊が立派な施設をつくると聞けば、こっちも負けてはいられないという雰囲気があった」と話す。
ツケ
80年代後半以降、交付金の適用期限は切れ、固定資産税は年を追うごとに減価償却が進み、減収が続く。過大な公共事業のツケと施設運営費で財政難に陥った。町議会は91年、原発増設を求める決議を可決。財政の穴を新たな「立地」で埋める道を選んだ。当時の町長は岩本忠夫(いわもと・ただお)。社会党県議時代は「反原発のリーダー」と言われたが、85年に町長になると推進派に転向。決議後も「できてもいないのに増設で入る金をあてにして、先に金を使っていた」(町幹部)という。
知事だった佐藤栄佐久(さとう・えいさく)(71)は「麻薬中毒患者が『もっと薬をくれ』と言っているのと同じではないか」と振り返る。
改ざん
東電は第1原発に7、8号機の増設を目指す。94年、社長の荒木浩(あらき・ひろし)(80)は知事公舎を訪問し、今は原発事故対策の拠点となったサッカーのトレーニング施設「Jヴィレッジ」建設を持ち掛けた。元幹部は「増設の突破口だった」と明かす。2001年の地方博「うつくしま未来博」。開催に合わせ、東電は、県内に電力を供給する東北電力より寄付額を少なくしたいと打診。するとある県幹部は「それだったら福島から原発は出て行ってください」と言い放つ。東電は県の意向に神経をとがらせていた。
02年には長年にわたる東電の原発検査記録の改ざんが発覚。隠蔽(いんぺい)体質に対する批判が高まり、佐藤は検査のため停止している原発の再起動容認にかたくなな姿勢を見せ、町も決議を凍結せざるを得なくなった。
町長が井戸川克隆(いどがわ・かつたか)(65)に代わり、佐藤も弟の逮捕で辞職した後の07年、町議会は凍結を解除する。町は建設予定地への初期交付金を国に申請、約39億円を手に入れた。「結局、次も原発だった」と建設会社社長。
「未来永劫(えいごう)、原発に頼れるわけではない」と考えていた井戸川は05年の就任直後、総務課長に「予算を組めません」と訴えられたという。財政状況は想像以上に深刻で、09年までに、原発立地自治体として全国初の財政健全化団体に転落した。
頼みの原発による事故で避難を強いられ、町は存続の危機にある。「これから脱原発の百年計画を立てようとしていたのに」と井戸川。東電が増設中止を表明したのは事故から2カ月たった5月20日だった。(敬称略)(山内和博)
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