日本を創る
vol.1
神話崩壊
目前の危機防げず 電動ベントに固執
http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/article/vol01.html
3月12日午前7時すぎ、班目春樹(まだらめ・はるき)原子力安全委員長と一緒に自衛隊のヘリコプターで福島第1原発に乗り込んだ菅直人首相は、 東京電力の武藤栄(むとう・さかえ)副社長を怒鳴りつけた。「早く説明しろ」。視察は、原子炉格納容器から放射性物質を含む蒸気を逃がす非常手段「ベン ト」を迫るためだった。
1号機の容器内の圧力は未明に設計圧力の2倍を超え、危機は目前にあった。免震重要棟2階の会議室で武藤副社長、吉田昌郎(よしだ・まさお)所長 と向かい合う。関係者によると、東電側は「作業員が手動でベントするかどうかは1時間後に決めたい」「4時間後なら電気を復旧させ、電動ベントができるか も」と説明したという。
あくまで電源復旧に固執する東電。「悠長なことをやっている場合じゃない。どういう形でもいいから早くやれ」。首相は一蹴し、進んでいなかった作業は午前9時すぎから、手動での実施に向けようやく動き始める。
ベントはしたものの、午後3時36分、1号機の原子炉建屋は容器から漏れた水素で爆発する。「ガタン!」。建屋に向かう乗用車と消防ポンプ車が巨大な衝撃で跳ね上がり、若手作業員は約100メートル先の建屋上部の屋根と壁がごっそりとなくなっているのを見た。
近くの建物のガラスが粉々になり、破片が飛ぶ。免震棟の扉は枠組みが大きくゆがんだ。けがで足を引きずり逃げる人も。「被ばくして、もうじき死ぬんだな」。思いが頭をかすめた。
3基の原発でメルトダウン(炉心溶融)が同時に進む世界初の過酷事故に見舞われた福島第1原発。人間の制御を離れ放射性物質を吐き出し続ける"怪物"と、なりふり構わぬ闘いが続いた。安全神話は崩れさった。
東日本大震災が発生した3月11日の午後3時半ごろ。4号機の原子炉建屋にいた作業員(23)は高台の事務所へ逃げる途中、異変を見た。「あれ何だっぺというくらいの引き波だった」。防波堤付近の水位が信じられないくらい下がっていた。
別の作業員(54)は強烈な揺れとともに「ごおー」という、うなるような音を聞いた。「早くしろ」。舞い上がるほこりにせき込み、数十人が殺到する出口へ。線量計を床に投げつけ外へ出た。
「ステーションブラックアウト!」。午後3時37分、東京・内幸町の東電本店に置かれた非常災害対策本部で怒気交じりの声が飛んだ。原発の安全設 計審査指針が「考慮の必要はない」と切り捨てていた長時間の全電源喪失が始まった。「どうして...」。中堅の幹部社員は立ち尽くした。
70トンの塊
炉心の燃料は、制御棒の挿入で核分裂反応が止まっても「崩壊熱」を発し続ける。電源を失い冷却できないとメルトダウンに至る。それでも東電はまだ 時間的余裕があるとみていた。8時間は緊急冷却機器のバッテリーが稼働する。その間に外部電源を復旧させられればという期待があった。午後5時すぎ。東電は管内10の全支店に「福島に電源車をかき集めろ」と指令した。しかし地震や津波で道路は寸断、至る所で渋滞していた。「思うように進めない」。本店に悲鳴のような報告が次々に入る。
1号機炉内ではこのころ、長さ約4メートルの燃料棒の束が高温で溶け、格納容器を満たした水が蒸発。午後7時半ごろ燃料がむき出しになった。やが て燃料を覆う被覆管が破れ、直径約1センチの燃料の塊(ペレット)が落下。12日朝までに全て溶け落ちた。底にたまった約70トンの塊は、容器を溶かして 外に出れば、多数の人間を殺傷しかねない。
午後11時、初めて東北電力の電源車が到着。自衛隊車両も含む十数台が集まったのは12日朝だった。しかし、敷地にはがれきが散乱し、建屋に近づ けない。用意したケーブルも短すぎた。さらに「設備が津波で浸水し、無理につなげばショートする」(東電幹部)恐れも。大きな望みをかけた電源車は無力 だった。
免震棟では、居合わせた社員全員に呼び掛け、止めてあるマイカーのバッテリーを外して1号機に運ぶことまで試みていた。建屋脇に数十個のバッテリーを直列につなぎ、原子炉の水位や圧力を計る機器類の電源にしようとしたが、功を奏したかは不明だ。
新たな爆発
最悪のシナリオは3号機でも進行していた。13日午前2時42分、原子炉への注水がストップし、冷却機能が失われる。東電はその存在すら公表していないが、この日午前、放射性物質を含む蒸気が漏れ出した3号機の建屋に、6人の作業員が足を踏み入れていた。防護服に防水ジャケット、ボンベを背負った作業員が、取っ手をゆっくり回して分厚い扉を開く。真っ暗な内部をヘッドライトと懐中電灯がぼんやり照らし出した。「シュー、シュー」。酸素を供給する音だけが響く。
電源を失った発電所で、高い線量にさらされながら続いた人力による復旧作業。建屋は翌14日の午前11時すぎに1号機と同様に水素爆発し、社員や、危険を知らされていなかった自衛隊員ら11人がけがを負った。
15日早朝、2号機の圧力抑制プール付近で爆発音。約730人が敷地外へ一斉退避し、約70人が第1原発にとどまった。4号機で火災が発生し、退避した作業員もすぐに呼び戻された。
東電は残留者を50人と発表、海外メディアは「フクシマ・フィフティーズ」ともてはやした。国家の危機に立ち向かう"決死隊"のイメージが膨ら む。だが、今も現場にとどまる20代の社員はひとりごちる。「残った管理職が出す指示はいいかげんなものが多かった。どんどん若手が現場に行かされた」 (伊藤元修、鮎川佳苗、浅見英一)=2011年05月30日

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